自分のことは自分ではよくわからないものです。自分の顔も鏡がなければ見ることもできない。見えるのは、目の前の世界ばかり。そして、その目の前の世界で見えることに人は興味と意識を置きます。
それは、映画館で映画を見ているようにスクリーンに映し出されるものに意識を置き、自分の解釈をベースに感情を抱いていくことにとても似ているように思います。

人は誰もが自分の中に「正しさ」という基準点を持っていて、目の前の出来事や見えるものも自分の「正しさ」を基準にして解釈をしていきます。この「正しさ」というのを私たちはすべての基準として捉えてしまいがちです。「正しさ」が全員にとっての「正しさ」だと思ってしまいがちですが、実は、「自分の中だけの正しさ」であることを忘れてしまうことがあります。
自分以外の誰かを見ていると、「こうすればいいのに!」「何をやっているのだろう?」「見ているとハラハラしてしまう。」と思うことってありますよね。そう思うのは、全て自分が経験してきたことをベースに思っていることであって、目の前の人にとっては、そう思わずにその人なりに生きているわけです。
よくカウンセリングをしていると出て来るお話が、家族や同僚について納得できないことがお話にあがってくることがあります。なぜ納得できないのかゆっくりお話を伺っていくと、ご自身の中にある「正しさ」という枠が自分以外の人や出来事に当てはまらないと出て来る思いであることが見えてくることがあります。
自分の中にある「正しさ」を持つことが悪いのではなく、その正しさを自分以外に当てはめようとすると感情的になったり、苦しくなってきたりすることがある場合、それを1つのサインと受け取って、自分の「正しさ」という枠を外してみると、また違った視点で相手のことを見ることができたりします。

また、人には生まれる前に決めてきたブループリントがあります。人生の設計図です。このブループリントは、生まれてしまった後、顕在意識では忘れていて魂レベルで覚えている感じです。
端から見てるとハラハラしてしまう目の前の人の人生も、その人がそれを体験したくて生きているとしたらどう思いますか?目の前の人が家族である場合、できるだけ上手く人生を進んでいってくれたらと思って、沢山気をめぐらしてしまいます。一個人の人生だと見守るという立ち位置もありますが、これはなかなか家族だと難しいですね。
いずれにせよ、人を変えることはできません。自分しか自分を変えられないのです。
そうわかっていても、ついつい言葉が相手に出てしまったら「私は何がいけないと思って相手を見ていたのだろう?」と自分に問いかけてみるのもいいかもしれませんね。
最後に、生きている間に一番多くの時間を過ごすのは家族です。ですから、多くの時間を共に過ごす分、いろいろな思いが巡ります。
一番の学びの相手は、家族とも言えますね。
自分以外の存在がいるから、自分に気づける。自分以外の人の中に見えて気になるのは、自分の内側のことなのかもしれません。
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