自分を変えて行きたいとか、生きていることに疲れてしまったり、感情に飲み込まれて苦しくなってしまったり。。。
自分の内側を見て行くキッカケは人それぞれだと思います。
私の場合は、ネガティブな感情に飲み込まれ苦しくてたまらなくなり、子供のころから持ち続けていた思いや感情、家族の旅立ちなどを経験して心が本当に疲れ切ってしまった時にある意味どん底思考に嫌気がさして自分を癒していこうと思ったのがキッカケです。
文字にすると数行ですけれど、あの頃は人生最悪のどん底、世に言う「大殺界」と思えるような時期でした。(あの頃はそう思っていた私です。)
今もなお自分の内側を見ながら自分を癒す日々を続けていますが、あの頃に比べると物凄く生きやすくなり自分の変化をとても感じています。
でも、自分の内側を見て自分を癒していく旅に終わりはないでしょう。
少しづつ癒されて、自分を冷静に見れる視点を持つ時間を持ちながら気づきは続いていくわけです。
思うのですが、何かを決心して行動に移すとき、どん底までやりきって自分の中で腹を決めて変わって行こうと自分自身に宣言するくらいのエネルギーがないとエンジンがかからないような気がします。
あくまでも私の場合はそうだったということで、人それぞれ変わって行こうとエンジンをかけて行くプロセスは異なります。
人生の中で失敗したと思ったり、自分以外の人や物事に対して感情的になったこともありますが自分の内側をゆっくり見つめ自分を癒していくと自分に非があったことだと気づけてきて驚愕したことが何度もあります。
自分以外に問題があると指を指していたのが一転、自分で自分を指さして「自分だったじゃない。」と気づくのです。
理由はなんとでも言えるし、こうだったから、ああだったからと証拠を並べても結局自分だという着地点がくるのです。
誰でも自分に非があったと思いたくなどないわけですよね。
( ;∀;)
でもですね、よーくよーく見て行くと、特に一番最初の時点に立ち返って見ると見えてくるものが沢山あるのです。
こんな感じで、時折思い出す昔の嫌な記憶に対しても気が向くとその時の流れを見直して、再び驚愕の気づきが訪れて「やはり私だな。」と思えるのです。
すべて私が悪かったという話ではなくて、驚愕の気づきが訪れた後に不思議と嫌だった思いが消化していくのです。
自分が悪かったのだと落ち込むよりも、原因だと思っていた人や物や出来事に対して「ごめんなさい。私でした。」という素直な気持ちになって思いが浄化していく感じです。
そして、これらの気づきと体験が今後の生きて行く上での学びとなり、同じようなことが再び巡ってきたときの最初の一歩が変わってきます。
過去の失敗(←いい言葉がみあたらないのですが)も全て体験と言うお勉強。時間が経ってお勉強したことを振り返ったら見えてきた本当の学び。(笑)
内観して自分を癒しても、癒しの旅は終わることがありません。
終わらせようと思ってやっていると苦しくなってしまうかもしれませんね。
ただやる価値は大なのです。
癒しの世界は奥深く、癒しに触れるたびに魂が震えて成長していくような感覚にもなります。
自分の外に目を向けがちですが、自分の内に全てがあります。
私もヒーラーをやりながら宇宙の源と繋がってエネルギーを動かしたり目に見えない世界のことも体験を重ねていますが、私も人間でこの現実世界に生きる一人。
現実世界での人間体験という勉強も重ねている日々です。これも終わりなき勉強ですね。
(*´▽`*)
勉強は無理してやるのではなく興味が出てやりたいと思って始めると楽しいですよね。
生きていると楽しいことばかりではないけれど、だからこその体験と学びがあって、その先に楽しさが待っている♪
今日は長くなったのでこのあたりで終えておきましょう。(笑)